学習会の趣旨

子の自立と、親の自立をめざして

 

家庭内の仕事は、ある意味最も「共依存」の問題が問われる場だ。
家庭が、人間の本性がむき出しになり、第三者の入る余地に乏しい、閉じた場であるからだけではない。
また、妻が夫に経済的に依存する場合があるためだけでもない。
むしろ、そのように必然的に依存し合って生活する中で、同時に個々人の自立が求められ、家庭が子を自立させる使命を担っているからだ。

家庭の問題は数限りなくあるが、その鍵は自立ではないか。
自立は、まず思春期に大きな課題として現れる。
しかし、私たちは人生の中で何度か、その自立を、思春期をやり直すことになる。

(1)子の思春期に親は何をするべきか
①過干渉という逃げ場

2009年から国語専門塾、鶏鳴学園の大学生・社会人ゼミに参加して文章を書き、私が築いてきた家庭について、また、私が育てられた実家についてふり返ってきた。
また、2011年から鶏鳴学園の中学生クラスを担当して作文を指導し、思春期の生徒たちが抱える様々な問題について考えてきた。

子どもが自立していくことは、かんたんではない。
私たちは誰もが誰かの子どもとして生まれてきて、その困難に直面する。
動物は力ずくで子を自立させるが、人間はそうはいかない。
自分自身で、考え方の面、つまり精神的に自立することが、人間の自立の核心だからだ。

子は、思春期になって親の考え方に反発はしても、まだその代案を持っていない。
つまり、反発している当の親から学んだ考え方をベースに生きている。
だから、表面上は親への反発でも、その内実は、自分が自分を攻撃するような苦しい状況だ。
それがどれだけ苦しくても、自立していくには大きなエネルギーと長い時間がかかる。
それまでの自分を壊して代案をつくっていくのは、10年単位でじっくり闘っていかなければならない課題である。

長い闘いの始まりのところで、中学生は、親に反発したり、甘えたりするところに留まりがちになる。
特に、親が子離れに向かわずに過干渉を続ければ、それが子にとって格好の逃げ場になる。

親もたいへんである。
いったいどうすればよいのか途方に暮れる。
もう親の言うことは聞かない子が、主体性は、まだ弱い。

②子育てに代わる人生の目的

親が子の思春期に悩んだときにできることは、親自身の人生を生き直すことだと思う。
思春期に、子は周りとの人間関係や、何のために勉強するのかなど様々に悩む。
それはせんじ詰めれば、何のために生きるのか、自分は何者なのかという悩みだ。
そのとき親も、これまでの人生をどう生きてきたのか、思春期をどう生きたのか、どういう人間であるのかが問われる。

子に対してどう接するかというような小手先では、もうどうにもならない。
子の思春期は、それまでの人生や夫婦関係の総決算のときだ。
親自身の問題に取り組むべきである。
問題のない家庭も、職場も、ない。

そして、子育て後の後半生をどう生きていくのか。
それまでの人生のテーマが子育てだった場合は、それに代わるテーマが無くては、子離れはできない。
子離れできなければ、子の自立はさらに難しくなる。
親の過干渉は子にとっての逃げ場である前に、親自分の逃げ場なのかもしれない。
親も、自分自身の人生の目的を持ち、自立して生きることが課題になる。

(2)自立とは何か
①強まる親子の一体化

子が自立という大きな課題を抱えるとき、親も同じ課題を持つことになる。
しかし、果たして何をして、どう生きることが「自立」なのか。

女性は、昔に比べれば、家庭の外で働きやすくなった。
子育てをしながら社会での仕事も続ける母親は増えてきた。
女子学生たちも、当然将来は社会で働くことをイメージして勉強している。
結婚などが「ゴール」でなくなり、一見「自立」が進んだように見える。

しかし、そうして母親の社会進出が進んだから、それで子どもたちが自立しやすくなったかと言えば、そうなっていない。
むしろ、母子(父子)一体化は強まるばかりのように見える。
なぜだろうか。

②経済成長後の、子育ての目標

私たちは今、子どもたちの将来像を描きにくい。
経済成長時代を生きた私の親世代であれば、彼らが目指した経済成長の延長線上に、子の未来もあった。
つまり、子育ての目標はシンプルに、親たちと同じように経済成長を担う社会人を育てることだっただろう。

今から思えば、それが本当の意味で子を自立させることではなかっただろうが、当時の親たちには子を独り立ちさせていく展望があった。
しかし今、経済成長は明らかに行き詰まり、私たちは親も子も、次の社会像を描きにくい。

経済成長を見込めなくなった今、次のレベルの目標が子育てにも求められているのだと思う。
子をたんに親と同じ経済的階層に留まらせようという教育では、子は息が詰まるばかりで前に進めない。
今現在の社会に合わせて子を育てようとするのではなく、こうありたいという理想の社会に向けて働けるようにと育てるのが本来であり、希望のある子育てではないだろうか。

社会全体のわかりやすい目標は、もうない。
私たち一人一人に、次にどういう社会をつくっていきたいのかという思想が必要になる。

女性の「自立」の基準は、外で働いているか否かではない。
男性も同様に、稼いでいることが、即「自立」を意味しない。
家庭の中でも、外でも、直面する現実の問題に向き合い、その答えを出して生きているかどうか。
それが本来の「自立」の基準ではないか。

(3)子育てと、老後と

ここまで、思春期に焦点を当てて書いてきた。
私自身が、15年ほど前に子の思春期に戸惑ったところから、自分の生活や生き方を考え直してきた。
また、それ以来、中学生という思春期真っただ中の人たちの問題を考えることを仕事にしてきたからだ。

学習会の参加者は、思春期の子を持つ親が多い。
しかし、子どもが小さくても、そのゴールは自立であり、親の自立が求められるのだから、学ぶ目的は同じだ。

また、子どもを育てなくても、私たちは誰もが子どもとして生まれ、人生で何度も、自分がどういう家庭でどのように育ったのかをふり返ることになる。
そして、その思春期を、自立を、やり直す。

学習会では、親の老後や介護の問題も考えていきたい。
子育てが、社会で働く人間を送り出す仕事であるのに対して、老後の問題は、それまで社会で働いてきた人が自力で生活できなくなったときに、その生活をどう支えるのかという問題だ。

また、私たち自身はどう老いて、どう死んでいくのか。
子どもを育てる中で、私たちは自分の幼少期から思春期を、ある意味辿り直して「復習」する。
そして次に、今度は親の介護や看取りに際して、自分の今後のことを「予習」していく。
それはどういうことなのだろう。

どう生きて、どういう家庭や社会をつくっていくのか。
また、親の自立とは、果たして具体的にこれから何をどうしていけばよいのか。
家庭とは何か、子育てとは何か、自立とは何か。
参加者それぞれが、自分の答えを出していけるような学習会にしていきたい。

 

参加をご希望の方、また関心のある方は、下記、フォームメールにて、ぜひお問い合わせください。
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鶏鳴学園講師 田中由美子
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鶏鳴学園 家庭論学習会事務局
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