学習会休止のご報告

「家庭・子育て・自立」学習会主宰者の田中由美子です。

この度、この学習会をいったん休止します。
特にこれまで学習会に参加していただいたみなさまに、厚くお礼を申し上げます。

下記に、その休止の理由と、今後の展望をお伝えします。
また、学習会のこれまでを、このブログに沿ってふり返ります。

 

目次
(1) 学習会休止の理由と、今後
(2) 開催した学習会一覧
(3) 学習会のこれまでの歩み

 

(1) 学習会休止の理由と、今後

この学習会は、これまで主に、思春期や子育てをテーマに開催してきました。

それは、私自身が、かつて息子や娘の思春期に親としていったい何をすべきなのか戸惑ったことが出発点でした。

また、その後、作文や話し合いを中心とする国語塾、鶏鳴学園で中学生を指導する中で、彼らがなんとさまざまな問題に直面していることか ― 思春期や、また学校の問題についても、私にはなはだお粗末な理解しかなったことに気づきました。

そして当然親たちにも、そうした思春期の子を前にさまざまな悩みがありました。
しかし、私自身がそうだったように、思春期の子育てや家庭の悩みを真っすぐに話したり、考えたりできるような場はそうそうありません。
それなら、子どもだけではなく親も、その思いを語り合い、学び合う場が必要だと考え、この学習会を立ち上げました。
親子それぞれが「自立」していけるように、参加者それぞれの問題について互いを参考に、またテキストを参考に考えていける場になればと思いました。

それから十年が経ち、今私は、子育てや思春期というテーマに深く迫るためにも、家族のその初めから終わりまでの全体を考えたいと思うようになりました。
人が家族の中に生まれ、そこから巣立って社会の中で生きて、そして老後を迎える、その家族の全体です。

この間、息子や娘は独立してそれぞれの家庭を持ち、私たち家族は新たな段階に入りました。
また、両親が老いる中、実家の問題を考え続けたこの十年でした。
父が亡くなった後、その問題の意味はより明らかになり、また、母は今介護施設で暮らしています。
そのことによって、私自身の老後や死も、今はリアルに射程に入りました。

また、そうした家族の全体を考えるために、人間の歴史の中で、家族はどう始まり、どんなあり方の変遷をたどってきたのかについても調べたいと考えています。
それは、私たちが学校で習ってきた社会一般の歴史や経済の後ろに、またはその土台に常にあった家族と女性の歴史ではないかと思います。
そもそも家族とは何か、私たちは生きていく中でぶつかる様々な家族の問題をいったいどう考え、どう取り組めばよいのか、また女性の生き方が、私のテーマです。

どういう具体的な問いを立て、その研究をどう進めていくのか、ここ数年でその段取りを立てます。
そして、その後どこかの時点で、これまで以上に充実した、また社会に開かれた学習会として再出発することを目指したいと考えています。

 

(2) 開催した学習会一覧

下記の表は、2015年から2024年までに開催した、計18回の学習会一覧です。
2018年までは鶏鳴学園の教室での開催、2020年からはオンライン開催でした。
主な参加者は、鶏鳴学園の生徒や卒塾生の保護者の方。
他に、卒塾生や、鶏鳴学園の大学生・社会人ゼミ生です。
また、塾やゼミの外の、一般の方にも参加していただきました。

月日 著者            本
2015 6.21(日) 松田道雄 『新しい家庭像を求めて』(筑摩書房)
1 11.8(日) 斎藤 学 『アダルト・チルドレンと家族』(学陽書房)
2 12.13(日) 斎藤 環 『社会的ひきこもり』(PHP新書)
3 2016 3.13(日) 松田道雄 『女と自由と愛』(岩波新書)
4 5.22(日) 上野千鶴子 『主婦論争を読む Ⅰ』(勁草書房)
5 7.17(日) 上野千鶴子 『主婦論争を読む Ⅱ』(勁草書房)
6 10.30(日) 土井隆義 『「個性」を煽られる子どもたち』(岩波ブックレット)
7 12.11(日) 尾木直樹 『「ケータイ時代」を生きるきみへ』(岩波ジュニア新書)
8 2017 3.19(日) 竹内和雄 『スマホチルドレン対応マニュアル』(中公新書ラクレ)
9 5.14(日) 山田太一 『親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと』(PHP新書)
10 7.23(日) 古荘純一

磯崎祐介
『教育虐待・教育ネグレクト 日本の教育システムと親が抱える問題』(光文社新書)
11 10.15(日)

 

乾 義輝 「豊かな人間性を培う家庭教育の推進―「思春期」家庭の支援の在り方―」
12 12.3(日) 重松清 『エイジ』(新潮文庫)
13 2018 12.15(日) 石牟礼道子 『新装版 苦海浄土 わが水俣病』(講談社文庫)
14 2020 8.30(日) 河合隼雄 『子どもと学校』(岩波新書)
15 12.12(土) 西郷孝彦 『校則なくした中学校 たったひとつの校長ルール』(小学館)
16 2021 3.7(日) 青木省三 『ぼくらの中の発達障害』(ちくまプリマー新書)
17 8.1(日) アガサ・クリスティー 『春にして君を離れ』(早川書房)
18 2024 8.4(日) 田中由美子 『思春期の子どもと親、それぞれの自立』(社会評論社)

※ 冒頭※の学習会は、鶏鳴学園の大学生・社会人ゼミにより、当学習会設立準備のために開催された学習会です。

 

(3) 学習会のこれまでの歩み

この十年の学習会と私自身の歩みを、ブログも読みながら詳しくふり返ります。

① 始まり

先にも書きましたが、私が自分の人生に特に強い疑問を持ったのは、息子や娘の思春期のときでした。
後に言葉になったことですが、彼らがどう大人になろうかという葛藤の中にあったとき、母親の私が、何のためにどう生きるのか、日々のさまざまな問題にどう対処すればよいのか、わからないまま生きているという現実にぶつかったのだと思います。
彼らが何のために勉強し、何のために大学に行くのかについても、私に胸を張って言えることはありませんでした。

その後50歳から国語塾、鶏鳴学園で仕事をするようになると、思春期真っただ中の中学生たちの、学校での人間関係の悩みや、勉強する気がしないこと、また親子関係等々の悩みを知ります。
また、親にとっては、子の思春期の嵐に巻き込まれたり、またその不安に子を巻き込んだりとたいへんな場合が少なくありません。

いったいどうすればいいのか ― 子どもの思春期には、子どもは親からの自立を目指して自分自身の考えや目的をつくり始め、そして、親もまた、あらためて自分自身の人生の目的を生き、子離れし、自立していく、これに尽きるのではないかと思います。
しかし、それはかんたんではありません。
私は、鶏鳴学園の大学生・社会人ゼミと、鶏鳴学園での仕事という学び続ける場がある中で、なんとか少しずつ自分の人生のやり直しをしてきました。
また、その一環としても、特に家庭の問題に焦点を当て、話し合い学び合えるようにと組織したのが、この学習会です。

ブログで学習会の設立を宣言する「『家庭・子育て・自立』学習会について」や、その意図を詳細する「学習会の趣旨」は、今読んでも意気込みはあります。
私自身が家庭の問題につまずいたので、その実感と問題意識のためでしょう。

ただし、当時50代では、子育て後の老後についてはまだ実感は伴っていませんでした。
子育てする中で私たちはある意味自分の人生を「復習」した後、今度は、親の介護や看取りに際して自分の今後を「予習」するということを、今の私は実感しています。
つまり、自分がこの後どう老いて、どう死ぬのか、そこに向けてどう生きるのかということが、今は日々の生活の土台にあります。

他方で、「必然的に依存し合って生活する中で、同時に個々人の自立が求められ、家庭が子を自立させる使命を担っている」という家庭の矛盾や本質については、まだそれ以上のことを今の私は言えません。

 

② 2015-2017年

スタートから2017年までの二年余りは、隔月ほどのハイペースで12回開催しました。

最初の二回は、大学生・社会人ゼミの読書会で読んでおもしろかった本をテキストにしました。
初回の学習会で何を目標に生きるのかというところにまで話が進んだのは、斎藤 学のテキストの力が大きかったと思います。
共依存的な生き方の問題は私たちの多くが抱えており、参加者の多くが自らの親との関係について語りました。
ブログもここまで突っ込んだのは最初で最後でした。
次の斎藤 環も、私たち大人が、他人と深く関わらず、ひきこもる生き方をふり返らざるを得ないテキストです。
よい学習会には、まずこうした強く深いテキストが必要でした。

次は、女性の生き方や結婚に関する三冊を読みました。
松田道雄は、この学習会の設立に先立って開催された大学生・社会人ゼミの読書会でもテキストとしました。
彼は女性や家庭の問題の本質によく迫り、その核心は自立であり、問題があれば闘うという変革精神です。
今回ブログを読み返してみて、家族を考えていくためにすぐにももう一度読みたいと思ったのは、彼の著作群でした。
そして、次に取り上げたのが、上野千鶴子がまとめた戦後の主婦論争です。
このブログがやけに熱いのは、私が塾で指導を始めて五年目になり、中学生たちが学校や家庭で抱える問題が、彼らの作文にあふれ出すようになっていたからでしょう。
それを受けて、親はどうするべきかを熱弁しており、今読むと少々恥ずかしいくらいです。
私は長年主婦という社会的に曖昧な立ち位置にもやもやした思いを抱えていましたが、否、主婦かどうかではなく、親として、一人の人間としてやるべきことがあったのだという気付きが当時ありました。

2016年後半からの第6-12回は、塾の保護者がまず求めているだろう子育てや思春期をテーマにした学習会を計画していきました。
塾の保護者会で生徒の親たちの生の声を聞くことが、私の背中を押しました。
生徒たちにとって切実でも、親には実感のない、今の学校での人間関係の問題を取り上げたり、また、子どものスマホ使用についての親の不安にも応えたいと思いました。
親子の一体化がますます強くなっているように思われる今の家庭での、暴力には至らないものを含めての教育虐待も取り上げました。
子どもの思春期にあっての親の側の課題は何かという、直球勝負のテーマにも挑みました。
また、思春期の子どもを外から論じるのではなく、彼らの側から彼ら自身やそこから見える世界を描いた小説も、テキストにしてみました。

この子育て、思春期シリーズは、私の当初の問題意識からしても、また塾で中学生の成長を後押しする立場としても、ぜひ実現したい学習会でした。
また、授業で生徒たちの声を聞くだけではなく、親たちとも率直に話し合えたことは私にとって大きな意味がありました。
当時のブログを読むと、参加者どうしや、私と参加者の間によく対話があったことに気づきます。
参加者の話から、私がテキストを捉え直したりもしています。
子の思春期に現れてくる問題は、子どもが大人になるとはどういうことなのかをたんに内面的にではなく、親や他者との社会関係の中で深くとらえているテキストでなければ太刀打ちできないのだということを、いざ学習会が始まってから思い知ったりもしました。

また、当時参加者も、子育ての日々の悩みを驚くほど率直に語っています。
会が終わるころには、参加者が、子どもではなく親自身のことを語るようにもなっています。
その頃のことをもう忘れてしまっていましたが、今の私にそれができるだろうかとさえ思いました。
授業でも、生徒の発言や作文にひたすら学び続けた頃でした。

 

③ 2018-2021年

2017年末には、それまでと同じレベルの学習会を続けるのではなく、親自身の子育て後や老後の生き方、女性の問題という本丸にもっと焦点を当てていきたいと考えました。
一年ものブランクの後、2018年末に開催した学習会は、『苦海浄土』をテキストとしました。
子育てや思春期とは直接関係のない社会問題を問い、また生き方を問う文学です。
子どもをどう育てたいのかは、私たちが今どういう時代に生きて、そしてどこを目指すのかによるのだから、水俣病問題が何だったのかを深く問う『苦海浄土』をこの学習会で読みたいのだと、ブログは息巻いています。
「子育ては突き詰めれば、親自身がどう生きるのかという問題以外のなにものでもありません」、石牟礼道子の生き方から学びたいのだとも。
この作品に強く心を打たれた私が、思いっきり背伸びしてでもやりたかった、打ち上げ花火のような学習会でした。

この学習会が教室での開催の最後となり、その後2020年のコロナ禍でオンライン開催になります。
おそらくそのことによって、男性の参加が増えました。

さて、ブログを読むと、『苦海浄土』の学習会の報告あたりから、参加者とのやり取りやその影響が、私の文章にあまり現れなくなっています。
鶏鳴学園で中学生たちと向き合い始めて十年になろうという当時、彼らが抱えるさまざまな問題について、私の考えをきちんとまとめて彼らに示そうとし始めた時期でした。
なんとか自分の考えをまとめなければならないという思いが、ブログにも現れているように思います。
2020年夏の河合隼雄の学習会報告でも、この大御所のテキストを少し引いては自分の考えをまとめることにかかりっきりといった文章です。

同年冬の西郷孝彦の学習会報告には、今も、そうだ、私が外に向けて動かなければと思わせられます。
世田谷区立桜丘中学の校長を十年務めた彼は、生徒を委縮させるようなルールは取っ払って、「よく生きよう」という意志が発動するような安心な学校を用意したうえで、教育とは「心を引っ掻き回すこと」、固定観念を覆し、前提を疑うことを教えることだと言います。
生徒にも教員にも「世界を変えなさい」と教え、彼自身が学校を社会に開き、すっかり変えて見せました。

2021年春には、主に知的障害を伴わない「発達障害」についてのテキストを読みました。
近年、塾や、大人のゼミでも耳にするようになった言葉です。
私たちは誰もが常に「発達」に課題を抱え、一生その課題を超えようとして生きていくのが人間です。
そのことと「発達障害」はどうちがうのか、またどうちがわないのかといった疑問があります。
それはかんたんに答えが得られるようなことではありません。
しかし、このテキストで精神科医の著者が「発達障害」の特徴として、思春期になっても大人から与えられた規範に反発しない「よい子」であり続けることを挙げた点に、特に関心を持ちました。
そうだとしたら、それは今の子どもたちに一般的な傾向であるように思われます。
子どもの自立が難しいという社会的裾野があっての「障害」なのだろうかという思いを持ちました。

2021年夏はアガサ・クリスティーでした。
48歳の主婦である主人公の、夫とも娘とも、誰ともほんとうに心通うことのない、誤魔化しの人生のぞっとするような恐ろしさを、なんとよく描いた小説でしょう。
それは家族というものの恐さでもあるでしょう。
この学習会はなかなか盛り上がりました。

 

④ 学習会の終わり

2021年のクリスティー学習会の後、私は、『思春期の子どもと親、それぞれの自立 ―50歳からの学び直し―』(社会評論社)の刊行に向けて、本格的に原稿を書き始めました。
やっと刊行にこぎつけたのは2024年の年初。
その間学習会は一度も開催できず、その夏三年ぶりに、拙著をテキストに学習会を行いました。
この十年の学習会の前半と後半をそれぞれ支えてくれた運営委員の石畑敦子さんと山元比呂子さんの二人も参加してくれました。

拙著は、2011年からの鶏鳴学園での仕事のここまでの総括であり、また、子育てや思春期を中心テーマにとしてきたこの学習会の総括でもありました。
他方で、この十年のテキスト全体をふり返ると、家族や女性というテーマが、私の意識としてはそのバックボーンとしてあります。
本気で仕事ができるだろう人生最後のこれからの十年で、どこまでそのテーマに迫ることができるのか、みなさまになんらかの報告ができるようにベストを尽くします。

2025年4月20日

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