『苦海浄土』学習会報告

日時:2018年12月15日(土曜)14:00~16:00
テキスト:石牟礼道子著『苦海浄土』(講談社文庫)

これまでの学習会では、直接子育てや思春期がテーマでしたが、はじめて社会問題に関するテキストを取り上げました。

子どもをどういう大人へと育て上げたいのかを考えるとき、私たちが今どういう時代に生きていて、この先どこを目指すのかということが土台になります。
だから、水俣病問題が何だったのかを深く問う『苦海浄土』を、ぜひこの学習会で読みたいと思いました。

60年以上も前に始まった水俣病問題は、たんに加害企業が悪いというような問題ではなく、行政も真っ当に対処できませんでした。
また、地域で壮絶な差別がありました。
その問題が今も私たちの日々の生活、生き方の中に根強く残っています。
学校でのいじめや差別意識、そして福島原発事故がそれを証明していると思います。

 

また、子育ては突き詰めれば、親自身がどう生きるのかという問題以外のなにものでもありません。
石牟礼の生き方から学びたいと思ったのも、このテキストを取り上げた理由です。

 

以下に、当日配布したレジュメの一部を掲載し、その後に私の感想や問題提起、そして最後に参加者の感想を掲載します。

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<学習会当日配布のレジュメより>
I        本書の全体の構成

(1)背景:水俣病問題の発生から、漁民たちの怒りの暴発まで   (1953-59)
一章:個人 ―患者や家族、地域の人や医者―
二章:社会 ―漁民たちvsチッソ、行政などの政治的動き―

(2)山:当事者の語り
三章:女性患者の語り ―家族内の話―
四章:患者家族の「家長」(男性)の語り  ―社会的な話―

(3)その後の運動:問題の進展、深まり ―患者、漁民、市民の運動、組織―(1956-68)
五章:マスコミや市民、行政や医学など外部と、患者互助会結成という内部の動き
六章:石牟礼の人生                           七章: 「水俣病対策市民会議」結成

II       『苦海浄土』の本質

(1)『苦海浄土』は、たんに水俣病問題を告発するためのルポルタージュではなく、公害とは何か、人間とは何か、その本質を深く問う文学である。

漁村に多数の患者や死者が出ても、水俣病問題への対応は遅れに遅れたが、本書によって、ようやく全国に広く知られた。

しかし、本書はたんに加害企業であるチッソを糾弾するものではなく、むしろ、加害企業であるチッソが貧しい時代の人々の希望であったことも描き出す、客観性と全体性、公平性が担保されている。

(2)本書の山は、患者や家族の魂の声を代弁する三・四章の語りであり、詩である。

病のために発語の難しい患者に代わって、また、病ゆえに地域で差別され、孤立した患者家族に代わって、その思いが、抑圧から解き放たれるように生き生きと語られる。

病による悲しみや不安だけではなく、かつて自分の手足で働き、生きていた喜びと誇りが豊かに表現されている。

彼らの内面の葛藤に深く迫り、その語りは、ものごとの本質が突き詰められ、表現された詩である。

(3)随所に医学や行政の原資料が差しはさまれている。

石牟礼が、患者や家族に一体化し、代わって語るだけではなく、その一体化を壊して、彼らを突き放し、相対化するかのようである。

そうして問題との一体化と対象化を行き来することによって、水俣病問題がどういう問題であるのかを、静かに深く問うている。

III      石牟礼道子の本質

(1)水俣病問題が起こった時代に、その水俣で生きる一人の人間、家庭を持つ一女性として、水俣病問題を「見とどける」ことを使命とした文学者である。

チッソの企業城下町だった水俣で、長年捨て置かれた患者や家族に当初から寄り添い、とりつかれたように筆を執った。

代用教員としての軍国主義教育や、敗戦後は一転して教科書に墨を塗るというような誤魔化し等々、様々な問題に疑問を抱いていた彼女は、水俣病患者たちと出会ったとき、自らの使命を見定めたようである。

「患者さんたちにつかまっていったとしか言いようがない」と語っている。

水俣病問題に向き合うことが、彼女が生きる意味であり、その中で彼女の人生の意味を深め、成長していくことによって、その使命を全うした。

つまり、「自分とは何か」をさいごまで追求し続けた人である。
※『苦海浄土』の副題は、「わが水俣病」

(2)患者を支える市民運動や、研究会に尽力し、患者や家族のチッソ本社前の座り込みなどにも同行した。

(3)殊に女性がそういった仕事をすることに多くのあつれきがありながらも全うし、彼女の仕事には女性の一生活者としての視点が貫かれている。

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<感想、および問題提起>
1.公害問題の意味

公害問題は、人間の歴史の中で、自然と人間の関係が逆転したことを知らしめた。

つまり、近代の工業化、生産力の急拡大で人間の力が自然の力を上回ったのだ。
たとえば、それ以前は人間が海に何を棄てようと、広い海がそれを希釈、浄化し、問題は起こらなかった。
ところが、人間の生産力が、自然が自ら回復する力を超えてしまった。

水俣病問題が起こったとき、その人類史上初の事態に企業も行政も真っ当に対処できなかった。

そして、経済成長の過程で出てきた公害問題は今も未解決である。
水俣病の加害企業、チッソが国策企業だったのと同様に、やはり実質的に国策企業である東京電力が福島原発問題を起こした。
昨今は海洋汚染によるマイクロプラスチックも問題になっている。
私たちは、自然と人間の関係が逆転した、新たな状況に対応した人間社会をつくらなければならない。

それは根本的には、私たちの民主化、主体化の問題ではないだろうか。
人が主体的に調査、判断する能力を持ち、差別や抑圧を許さず、問題を隠ぺいしないような能力と、また、制度を持たなければならない。
それは、たとえば学校でのいじめ問題に対しても求められる、普遍的な課題である。

水俣病問題は、甚大な被害の一方で、患者や家族、また石牟礼たち市民が運動して裁判で勝訴を勝ち取った、民主化への一つの動きだった。
そのことを、私たちは受け継がなければならない。

2.高度経済成長時代から、私たちは発展しているか

高度経済成長時代は、戦中戦後、またそれ以前からの貧困の解決がテーマだった。
満足に食べられない、娘を売らなければならないといった状況の克服だ。

そして、それは達成された。
ここ二十年以上経済が停滞しているとはいえ、絶対的には裕福になり、食糧は国全体としては足りている。
福祉もある程度整えられた。

ところが、社会的経済格差は拡大し、また、私たちの生き方は根本的には発展していないのではないか。

つまり、社会全体としては満足に食べられるようにという目標が達成されたのに、個人の生き方はまだ同じところで汲々としているのではないか。
将来が見通せない今、何とか今の豊かさや階層を維持したいという守りの姿勢には、経済成長時代にはなかった悲壮感すらある。
中高生たちは夢を持てず、そういう社会をつくった私たち大人の希薄さが、彼らの表面的な、また余裕のない人間関係に反映されている。

本来は、食べていくためだけではなく、人間としてどう生きるのかを追求できるのが今の時代ではないか。
そのために私の親の世代は経済成長を成し遂げたのではなかったか。
人間は、食べて命をつなぐという動物と同様のテーマだけではなく、自分の一生をどう生きるのかという、人間としてのテーマを問わずにはいられない。
自分は何者なのか、何のために生きるのか。
どういう仕事をして死にたいのか。

それを存分に追求する生き方へと発展するところにだけ希望があり、それが私たちの使命なのではないか。

3.女性の自立は進んでいるか

高度経済成長時代、多くの家庭で夫婦は仕事と家庭に完全分業していた。
私の親の世代に、夫は仕事で不在がちで、子育ては妻に任せきりという家庭のパターンは実に多い。
家庭での問題に夫婦が共に取り組んでいく中でもそれぞれの人格を築いていくのではなく、個々バラバラなまま暗黙の了解の内に「共依存」していたのではないか。

それに対して、現在は女性の社会進出が進み、また「個性」の時代と言われるが、果たして女性の自立は進んでいるのだろうか。
女性が自立できるかどうかは、そのまま男性や子どもの自立の問題と一つながりである。

自立するとは、前節で述べた、何のためにどう生きるのかを存分に追求し、自分の人生のテーマや夢を持って生きる生き方だと思う。

石牟礼はそれをやり遂げた女性である。
彼女のような文学の才能が誰にもある訳ではないが、私たちは今の時代の問題の一つに取り組むことはできる。
その中でそれに必要な能力は獲得されていくと信じたい。
石牟礼も、水俣病問題という大きな問題に取り組む中で、度々彼女自身を超えていったにちがいない。

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<学習会参加者の感想>

大学生の母 Aさん
『苦海浄土』は、水俣市に住む一人の女性が水俣病問題の実態に迫ることだけを目的に書かれた本ではない。筆者は、医師でもなく、ジャーナリストでもない。また、彼女自身や彼女の家族も水俣病患者ではないため、命が壊され脅かされていく中で、追い詰められてペンを執ったり、「水俣病対策市民会議」を立ち上げたりしたのでもない。では、水俣病問題に人生をかけて向き合った筆者を強く突き動かしたものは何であったのだろうか。

本書に、水俣病特別病棟に初めて訪れた「わたくし」が、漁師だった患者、釜鶴松と一方的な出会いをした時の様子が書かれている。一方的とあるのは、鶴松は、「まさに死につつある人々の中にまじって」、「まさに死なんとして」いた状態だったからである。その「彼がそなえているその尊厳さ」を目前にして、「これを直視し、記録しなければならぬという盲目的な衝動にかられ」たとある。さらに、「この日はことにわたくしは自分が人間であることの嫌悪感に、耐えがた」く、鶴松の「決して往生できない魂魄は、この日から全部わたくしの中に移り住んだ」と書かれている。筆者自らが水俣病患者として、壮絶な苦しみ、無念さ、せつなさや戸惑いを訴えることはできないが、患者に代わって記録を残す使命をこの時から背負ったのである。しかし、患者の力になりたいという思いだけでは、水俣病という底知れぬ大きな問題に、筆者の一生をかけて向き合うことはできなかったと思う。

学習会のレジュメに、『苦海浄土』の本質の1つに、「問題との一体化、対象化を行き来することによって、水俣病問題がどういう問題であるのかを、静かに深く問うている」とあった。まさに、時代の狭間で、また、矛盾や問題の狭間で、「行き来」して苦しんだのが筆者の人生だったのではないか。高度経済成長を遂げた時代に、利便性を追求して生活は豊かになったが、一方で壊された自然や犠牲になった人々がいる現実、季節ごとに移ろう自然の恵みを受けて暮らす漁師の「栄華」と、他方で貧困や水俣病患者への差別に苦しむ人々。筆者は、急速に変わっていくこの時代や女性差別が色濃く残る社会の思想の狭間に立たされて、常に矛盾や問題を強く感じながらも、妻として母として、また、嫁として生活をしていかなくてはならない現実と「行き来」していた。この「自分とは何か」という、人間の本質を問う深い問題意識を自分で解決していかなくては、彼女自身が生きていけなかったのではないかと思う。

高度経済成長の時代はとうに終わっているが、矛盾や問題は山積みである。いまだに、女性であるという理由で、医大の入学基準が変わり、不利になる歪んだ社会に生きている。そして、その問題が大きくなればなるほど、隠し誤魔化したくなる私たちがいる。自分自身を振り返ると、私は家庭内の矛盾や問題から目を背けてきた。特に、私と子供、私と母、私と姉、私と夫の共依存関係の問題は、子供の今後の人生にも私自身の人生にも関わる大きな問題だが、だからこそ、この関係性を断ち切れずに、これまで誤魔化し逃げ続けてきたのだから、国やチッソのとった態度と同じである。私が自立できていなかった問題に対して、その「おかしさ」と向き合う問題意識が弱く浅かった。

この本の自然描写や人間の本質を捉えた文章は胸を打つ。美しい自然と壊れていく自然、希望と絶望、生と死、成長と退行、平等と差別など、たくさんの狭間で「行き来」しながら苦しみ、問題意識を深めた筆者そのものである。

高校生の父 Bさん
ここ数年の間に、映像を通じたコミュニケーションが急激に広がっている。写真がすべてを伝えるような、若者間の情報のやり取りにある種の危機感を感じる。写真は、事実を写している。しかし、事実のすべてを写していない。写真は人間の五感のうち視覚にしか訴えていない。だから必然的に、視覚に過度に依存するコミュニケーションが活発になる。

文字は不自由なものだ。ただそれを見ただけでは、人間の感覚の何をも刺激をしない。しかし、それを読むことにより、脳がその状況を想像し五感を駆り立てる。その素晴らしさを、時間を取って感じる機会を、若者のみでなく親世代も意識的に持つ必要があるのであろう。

苦海浄土は、五感を刺激する文章だ。人間の想像力の閾値を試されるものだと感じる。水俣病の壮絶な病状と対比される、日常の健康で平和な暮らし。豊かな海と工場排水に汚染された海。巨大な工場と貧しい漁村の生活。この絶対的な対比において、水俣病というものが読者の前に浮き彫りになる。

しかし、筆者の目は一方的に患者に向いているわけではない。水俣市のおかれた環境や一般市民と患者の対立を冷静な視点で見つめている。これは、単に「公害病は悪だ」という単純な視点で語れない社会の複雑さを筆者自身が意識し、その解決にもがき苦しむ姿勢の表れなのかもしれない。

筆者が示す、患者と向き合いながらも、客観的な視点を維持する姿勢は、現代のわれわれの問題解決にとって欠かせないものだと感じる。社会で生きていくためには多面的な視点を持つ必要があると言われる。しかし、人はどうやって多面的な視点を確保したらよいのか。本を読めばよいのか。しかし、読書は筆者と読者の対話に過ぎない。そういう意味で、一つの本を題材として、いろいろな視点で意見を持ち、話し合うという場は重要なものだ。サラリーマンが多忙な仕事の合間に課題図書を読破し、貴重な休日の昼間を使って、参加する価値があるのか。私は、十分価値があると感じる。

大学生の母 Cさん
今までこの学習会では思春期をテーマとした本が選ばれることが多かったので、久しぶりの学習会でこの本が課題本と聞いて、とても意外だった。と同時に、NHK100分de名著に「苦海浄土」が取り上げられていて、気にはなりつつも、今まで見ないままにしていたことを思い出した。この学習会で課題本となったことを何かの巡り合わせと思い、まずはNHKの同番組を見た(最初から本を読むのは大変そうだったので)。

一番驚いたのは、自分がこの本、この作者の存在を今まで知らずにいたこと。この本は、普通の日本人なら、たとえ読んだことはなくても少なくとも名前だけは聞いたことがある、という範疇の本であって然るべきではないだろうか。国語の教科書の文学史のところに太字で載っていて欲しい。でも、私が中高生だった頃に習った記憶はまるでない。試しに今大学生の子どもに聞いてみても、知らないと言っていた。

環境問題を告発した本として有名なレイチェル・カーソンの「沈黙の春」に比して、「苦海浄土」が現在日本でも殆ど知られていないことの理由を考えてみる。

「沈黙の春」は遠いアメリカが舞台になっていて対岸の火事と思えるのに対し、「苦海浄土」は日本で起こったことで今も多くの被害者たちが存在しているリアルな問題である。チッソや行政の責任が裁判で問われているので、私が高校生だった当時にこの本が検定教科書で取り上げられなかった理由は想像できる。でも、それだけではなく、この本の存在を埋れさせたのは、辛くむごたらしい問題から目を背けていたい、自分が解決できる訳でもない問題を考えてどうなるのか、という私たちの意識だろう。誰もが便利で豊かな暮らしを望むが、そのような暮らしを実現するために犠牲となっているものについては考えたくない。犠牲となる弱い立場に置かれた人々、動物、植物、地球環境のことは直視したくない。自分は彼らに悪いことはしていない。

「苦海浄土」を読むと、誰もが犠牲となった人々に対して罪悪感を感じずにいられない。それが、高度成長期を経てバブル経済に入っていく過程で、日本人がこの本を埋もれさせて行った理由だろう。

読むのが辛く苦しい本だが、それでも石牟礼道子という人がこの一冊を書いてくれたことを日本人として誇りに思う。

社会人 Dさん
学習会に参加して、自分ひとりで読んだ時にはわからなかった発見があった。

一つは、ゆき女の語り部分を音読で聞いて「歌」だと感じた。黙読ではわからない。

二つめ。患者と関わり同じ水俣で暮らしていた石牟礼さんが『苦海浄土』を書いたことはリスクがあったろう、という意見から考えた。自分が身近な問題を書いて公にすることを想像した。公にすることで、それまでの人間関係が壊れて自分も孤立するかもしれない。恐い、と思った。

今から70年前に生まれた水俣病患者を巡るできごとを、水俣から遠く離れた東京で読むことができた自分からすれば、よくぞ書いてくれたと思う作品だが、書く側に身をおくと容易なことではなかったろうと想像できる。

三つめ。水俣病が生まれた高度経済成長期と比べると、公害の規制があり福祉の制度も整った現代であるのに、より良い世の中になったとは言えない、という田中さんの問題提起が心に残った。

中学生・高校生の母 Eさん
初めて学習会に参加しました。自分だけで読んでいると気づかなかった部分でも、先生の解説で読み深められました。
水俣病は戦後まもなく起こった問題ですが、現代社会にも通じる所があるなど、考えさせられる内容でした。

参加者の方々の意見を聞いて、色々な見方がある事もわかりました。

今後は忙しい事を言い訳にせず、時間を作り読書をしたいとあらためて思いました。

高校生の母 Fさん
会場でも、別の方が仰っていましたが、私も今回の学習会までは『苦海浄土』という本を知りませんでした。読み応えのある本を教えていただいたことに感謝しております。

水俣病は有名な公害病ですが、実態は想像以上でした。本の描写では、視力を失い、体を思い通りに動かせなくなっても、しっかりした意思とプライドをもって生活していらっしゃる患者の方やそのご家族の様子が生き生きと表現されています。それと併せて公的な記録も散りばめられており、水俣病問題について興味深く考える事ができます。

高1生の教材としても使われたそうですね。若い方がどんな感想をもつのか伺ってみたいです。それから、全然別の話ですが、田中先生の本にはびっしりと付箋や書き込みが‼︎そこまで読み込んだら違う発見が色々あるのではと感心しました。

仕事と育児に追われる毎日でしたが、最近ようやく読書できる時間が増えてきました。私もこれからはじっくりと読み深める時間も取っていきたいと思います。

今回の学習会はとても楽しかったです。機会がありましたら、また参加させてください。

中学生の母 Gさん
著者の石牟礼は、水俣病問題を見届けることを使命と感じ、この作品を世に送り出した。自分の目の前で起きている問題に正面から向き合い、自分が持つ力を活用し、課題を解決する著者の姿勢は、いかに生きるのかという点で大変参考になる。

水俣病の起きた時代に比べると、現代は、生活するため、ただ生きるためだけに、費やす時間やエネルギーは圧倒的に減少し、能動的に生きることが可能になったといえる。どのように生きるのか意識して過ごさないと、メディアや自分のいる環境からのみ受け取る価値を基準に生きてしまう。そこには、私自身は反映されていない。自分の人生を生きるために、著者の姿勢には、学ぶことが多い。

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